L.A.METAL SUMMIT in TOKYO開催に寄せて。LAメタルあの日、あのとき―前編―

LAメタル…極めて私的な話だけど、自分にとっては音楽的にも、また仕事的にも青春真っ只中なムーヴメントのひとつだった。幅広く、かつガッツリ洗礼を浴びた生涯忘れることのできない動きだった。よって思い出も多い。

LAメタルなる呼称/造語は実は日本から発信されたものだ。メタルに限らず、新たな音楽ムーヴメントが勃発するたびにそれまでにないまったく新しい造語が冠せられ、語られ、広がり、浸透していく。その際、その音楽の傾向や本質やアティテュードなどが造語に反映されることが多く、LA、つまりLos Angels(カリフォルニア州最大の都市)なる地名が、そしてその略称が新たな音楽ムーヴメントを表現する造語になるというのは稀だ。



RATT

70年代末にロンドンを導火線に炸裂したヘヴィメタルリバイバル旋風、ニュー・ウェーブ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル(=NWOBHM)の拡散、及び派生の勢いは本当に凄まじかった。インターネット、SNSのない時代だったけど、ファンジン、手紙のやり取りといったアンダーグラウンドコネクションを介して瞬く間にヨーロッパ各国、そしてアメリカへと飛び火し、メタルが世界的な音楽へとなっていく先鞭をつけたと言っても過言じゃないくらいだ。 自分も手紙のやり取りをしながら貴重なデモ音源や7インチシングルを手に入れたクチだ。



Vince Neil

80年代初頭、アメリカに『HEAVY METAL REVUE』なるファンジンがあり、アンダーグラウンドシーンで蠢くメタルの動きを発信し続けた。 ブライアン・スラゲル主宰のMetal Blade Records、マイク・ヴァーニー代表のShrapnel Recordsというメタル専門インディーレーベルもあり、当時未契約だった無名若手バンドたちがこぞって『METAL MASSACRE』や『U.S.METAL』といったコンピシリーズに音源を提供することで徐々にだけど着実にその名や音楽を広めていった。後にそこから頭角を現し、世界的成功を収めたのがRATT、METALLICA、ARMORED SAINT、SLAYERらだ。 それと並行してMOTOLEY CRUEやGREAT WHITEのように半ば自主制作で作品を出し、自力で階段を駆け上っていくバンドたちもいた。 こうした環境、手段が自然とひとつとなり、LAメタルの“座標舗ゼロ”は形成された。

少ししてそこに大メジャーレーベルが参入しRATT、MOTLEY CRUE、FASTER PUSSYCAT、L.A.GUNSや、エリア的定義からは外れ、時代的にも後発組となるなど厳密に言えばLAメタル勢とは言い切れないトム・キーファー(vo,g)率いたCINDERELLA、セバスチャン・バックがフロントに立ったSKID ROW、SLAUGHTERらが続々とシーンに輩出された。 それを受けて一斉に全米各地に散在するラジオ局が音源的に、そして当時立ち上がったばかりのMTVがPVなどの映像的サポートを積極的に実践することでLAメタル勢を主軸としたメタルは全国区、さらには世界的商業音楽として世界中を席巻するのだった。LAメタルとはひとつの音楽ムーヴメントであり、音楽トレンドであり、そしてカルチャーだった。

5月13日(土)、14日(日)の両日、幕張メッセでのL.A.METAL SUMMIT in TOKYO (https://www.livenation.co.jp/festival/l-a-metal-summit-in-tokyo-tickets)は今回初開催となる。その出演陣の顔ぶれの主軸がLAメタルムーヴメント勃発の牽引役であり、またそのバンドの一員であり、その後LAメタルが猛威を奮い、巨大なカルチャーへと進化・発展していく過程を彩り鮮やかなものとしたバンドたちだ。



Faster Pussycat

LAメタル勃発からすでに30年以上もの歳月が流れてる。その時代を実体験したベテラン音楽ファンはもちろん、若い音楽ファンにもメタルなる音楽をいろんな意味で促進させた時代の寵児たちを観て、体感してほしい。

(次回へと続く)

文・有島博志